


















































1932年、建築家 白井晟一はベルリン留学時代に訪れたパリで、『放浪記』の印税が入り単身渡欧していた 作家の林芙美子と出会い、交流していたというエピソードがある。
後に、林芙美子は自分の巴里滞在時代を元にした小説や日記の中で「S」という人物として登場させ、当時の白井晟一の面影やふるまいを瑞々しく記述している。
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“ 五月五日
昼頃、画学生のK君来訪。S氏と角のスフレエで歓談数刻。頭重し。歩道のみどりは素敵な眺めだ。バルビゾンの、あの美しい青葉の森を思い出す。巴里もこれからが素敵なシーズンだ。 <中略> 今日はわたしの誕生日だ。S氏よりささやかな贈物をもらう。夜は、サラベルナール座に音楽を聴きにゆく。” (林芙美子『春の日記 』より引用)
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“ ―今日は大変いいお天気です。夜なぞ、少し散歩なさいました方が、あなたのお体にはいいでしょう。―
たったこれだけの文字であるのに、まるで母親の長い留守を待った子供のように、声がむせて暫しはまた椅子を背に額を押して瞼を圧していた。<中略>「天気がよいから散歩をしろ」と教えてくれる男の手紙を、また再び開いて、短い文意から、もっと厚かましい優しい心を私は探ろうとしている。” (林芙美子『屋根裏の椅子』より引用)
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白井晟一もまた自分の建築作品やエッセイに林芙美子の小説(『浮雲』『めし』)と同じ題名をつけている。秋田県湯沢市には林芙美子の小説『浮雲』と同じ名前の、白井が設計した旅館が存在する。
白井晟一が建築家として世に出る前に林芙美子は亡くなったため、白井の建築を訪れたという事実はないが、もし生きていたならば白井の建築が多く建てられた秋田の地を訪れていたのだろうと想像し、現存している白井建築に、”S氏”の像を重ね、林芙美子の旅行記の身体を倣い、写真日記を仮構した。
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